テスト

今回のブログから、私がどういう人間で、平たんでは決してなかった道をどのように歩んできたのかお話ししようと思います。私の経験が、大好きな日本の人々のお役に立てれば心からうれしいと思ったからです。

東日本大震災から5年たち、当時に思いを巡らせて書いたブログからほどなくして、今度は熊本地震が起きました。被災地の方たちは、今も不安な生活を余儀なくされています。心からお見舞い申し上げます。

  • これは
  • あれは
  • それは

東日本大震災の後、国外に帰れる場所を持っている外国人は相当数、日本から去りました。日本に数十年住んでいた私の知り合いの一人は、あの地震に心底怖い思いをして、日本の家を売り払って帰国してしまいました。日本の人はここが自分の国ですから意識することは少ないかもしれませんが、外国人にとっては、生活に対するリスクを減らすため日本から引き揚げるという選択肢があります。

私は日本に住み続ける選択をしました。私という人間を育ててくれた日本に恩返しをしたいと強く思っているからです。

hana

1988年に留学目的で来日して以来、大学(早稲田大学と同大学院)時代を経て、中国で弁護士になる基礎をつくってくれました。日本で起業したエレベーター保守会社の社長になり、東京を拠点に仕事をさせていただいています。中国との懸け橋になりたいと、商法専門の弁護士として企業コンサルティングもしています。愛する家族もできました。

早稲田大学を卒業したときの筆者の晴れ姿。後ろに大隈講堂が見える 人生にはいくつか転機があります。私の場合、初期の転機の一つは日本へ留学したことです。その転機をお膳立てしたのは、立て続けに起こった奇跡です。日本への道は運命で、これらの奇跡はその運命に導かれたといえるくらいです。

病からの劇的な回復

高校3年生のときに循環器系の病気にかかりました。血管が炎症を起こしたため、高熱がよく出て、足がひどくむくんで歩けなくなりました。ほぼ1年間、寝たきりに近い生活を余儀なくされたのです。大学受験を目の前に控えていた大事な年に、病気のせいで試験勉強ができず、歯がゆい思いでした。

ほとんど何もできない月日を過ごしているうち、「もう第1志望の大学には行かれない」と思い込みました。寝ていて勉強ができないのに、どうして名門大学に行かれるでしょうか。仮に志望したとしても、受かる気がしませんでした。第2、第3の志望校へ行く選択肢には魅力を感じませんでしたが、それもやむなしとあきらめの境地でした。

病気は良くならず、大きな病院へ行きました。すると医者は、「両親に言いなさい。若い娘さんで気の毒だが、このままでは、治すためには両足切断しかない」と言うのです。必死でほかに治すすべがあるかを探し、はりに精通しているおばあさんがいるとどこかから聞いて、親に負ぶわれて、その女性を訪ねました。